1933年5月26日、京大法学部の教授31名全員が辞表を提出。文相鳩山一郎による滝川幸辰教授の強制免官に対する、教授団と学生による抵抗運動。

 滝川事件(京大事件)の発端は、国粋右翼団体「原理日本社」の蓑田胸喜・三井甲之らが「司法官赤化事件と帝大赤化教授」と題したパンフレットを配布したことに始まる。東大の美濃部達吉、牧野英一、京大の滝川幸辰らを、「赤化教授」とレッテルをはり、執拗に攻撃した。
 貴族院議員・菊池武夫や政友会の宮沢裕(宮沢喜一の父)らも、これに呼応。滝田教授の『刑法読本』は「共産主義的」と非難して、発売禁止処分に追い込まれる。そして文部大臣・鳩山一郎(鳩山由紀夫の祖父)が滝川教授の罷免を要求する。京大総長の小西は要求を拒絶するが、文官分限令によって滝川教授は強制免官となる。

 『刑法読本』は滝川教授が1932年1月から3月にかけてラジオで放送した「公民常識講座 刑法」をまとめて、同年6月20日に大畑書店から出版したものだった。発禁まで10ヶ月もかかっている。放送当時も、発行当時も何も問題はなかったということである。いったい、この刑法論のどのあたりが「共産主義的」とされたのだろうか?

1 「犯罪は犯人の生活状態を改善しなければ少なくならない。刑罰によって犯罪をなくすことは不可能」

2 「姦通罪について、妻の姦通だけを犯罪にし、夫の姦通を不問に付すのはよろしくない」

3 「国家は革命家を敵として取扱うのはよいが、道徳的に下等な人間として処置してはならない」

 このほかに、1932年11月に中央大学で行った「復活に現はれたるトルストイの刑罰思想」と題する講演も問題とされた。内容は犯人へ報復的な刑罰を科すよりも、同情と理解をもって人道的に扱うことを説いたトルストイを肯定したものだった。

 どの主張をとっても、滝川教授の主張は「共産主義的」とか「危険思想」といえるようなものではない。ごく常識的な刑法学者の主張である。

 この学問の自由への弾圧にきびしい論陣をひいたのは、硬骨のジャーナリスト・丸山幹治である。

 丸山は『朝日』『毎日』などを渡り歩き、『大阪毎日』ではコラム「硯滴」を担当した、大正、昭和と二代にわたる著名なコラムニストである。以下引用しておこう。

 「鳩山文相はその責任を知るべきである。刑法読本の何処が悪い。赤やら青やら、国民はこれに批判を下せぬ。鳩山文相が司法省に注意して発売禁止させたという。御覧の如く赤いといわれても国民は目隠しされた、しかも常識は文部省の遣口を危険とする」(5月12日)

 「刑法読本には資本主義機構に対する唯物論的の見方がある、イデオロギーの匂いがある。しかし、このくらいの批判は右傾理論にも含まれているのだ。たとえば不景気は資本主義、資本主義機構の産物なりという如し、これはファッショにも共通する常識だ。どこのクラブにでも、このくらいの危険思想家はウヨウヨしているのだ。文相の権限をもって教授を威嚇し、就職難をもって学生を威嚇す、これが明朗な政治家のなすことなりや。すべての責任は『軽率不謹慎なる』文部省が負わねばならむ」(5月26日)

 滝川事件をモデルにしたのが、黒沢明監督の戦後第1作の映画、『わが青春に悔なし』(1946)。この映画のさいしょに出てくる、説明のテロップより。

 「満州事変をキツカケとして、軍閥・財閥・官僚は、帝国主義的侵略の野望を強行するために、国内の思想統一を目論み彼等の侵略主義に反する一切の思想を“赤”なりとして弾圧した。昭和八年、鳩山文部大臣がその意を受けて、自由主義者滝川教授を京都帝国大学より放逐しようとして、全学一致の反撃に遭ひ、教育界未曾有の大問題化するに至つた『京大事件』もその一つであつた。
 この映画は、同事件に取材したものであるが、登場人物は凡て作者の創造であり、同事件以後の弾圧と汚辱に充ちた時代を、真剣に生き抜いて来た人々の、魂の発展史を描かうとしたものである」

 立川テント村のポスティング弾圧事件、国公法弾圧事件、関西生コン弾圧事件、公安当局の暴走による常軌を逸した弾圧事件が相次いでいる。マルチン・ニーメラー牧師のことばとともに、この滝川事件も記憶しておこう。
 

【参考サイト】
▽「自由な学問をヤリ玉に、京大・滝川事件をどう報道したか」前坂俊之氏(静岡県立大学国際関係学部教授)
http://www.u-shizuoka-ken.ac.jp/~maesaka/021226_contents/heihakyoukinarikyoudaijikenn_040416.pdf
▽わが青春に悔なし(DVD)
http://www.toho-a-park.com/video/kurosawa/bwagaseishun.html
▽専従の捜査員を配置 国公法弾圧事件で公安警察(「赤旗」5月25日号)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2005-05-25/14_02_0.html

【参考】
「マルチン・ニーメラー牧師のことば」
 「ナチスが共産主義者を弾圧した時、私は不安に駆られたが、自分は共産主義者でなかったので、何の行動も起こさなかった。後日、ナチスは社会主義者を弾圧した。私はさらに不安を感じたが、自分は社会主義者ではないので、何の抗議もしなかった。それからナチスは学生、新聞、ユダヤ人と 次々に弾圧の輪を広げていき、その度に私の不安は増したが それでも私は行動しなかった。ある日、ついにナチスは教会を弾圧してきた。そして私は牧師だった。だから行動に立ち上がったが、その時はすべてがあまりにも遅かった。」