第一次大戦が始まった後、1915年2月に、ローザはフランクフルト・アム・マインにおいて兵士虐待に対する抗議演説を行った。そしてその罪を問われて、翌1916年2月までベルリンのバルニム街にあった女性刑務所に収容され、その後さらに2年と4ヶ月、ベルリン、ウロンケ、そしてブレスラウと、たらい回しの「保護観察」が続いていた。ソニューシャ(ゾフィーの愛称)は、ローザがかくも長い間監禁されていることに対してたいへん腹を立てて、こう手紙に書いた。

 「人間が他の人間の運命を左右してしまうなんて、どうしてこんなことになってしまったのでしょう。それはみななぜなんでしょう?」

 ローザはこのくだりを読んで、思わず声を出して笑ってしまった。ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』のホフラコーワ夫人を思い出してしまったからだ。ホフラコーワ夫人も、社交界に集まったひとたちを途方にくれたまなざしで次々に見回しては、「なぜ?」と問いかけては、……しかし誰かがこれに返答しようとすると、もうそのときにはほかの人に向き直っている。自分に答えを与えてくれる好都合な人間が、ネット上のどこかにいるという、理由なき確信に満ちて掲示板をさまよい続ける教えて君のようなタイプは、今も昔も変わらないのである。ローザは手厳しい。

 「ごく控え目に推し測ってみても二万年あまりはつづいているとみてよい人類の全文化史は、『人間による他の人間に対する支配』を基盤として成り立っているのですよ。これを変革するには、さらにいまひとつの、苦悩に満ちた発展を遂げなければなりません。わたしたちはいまちょうどそういった苦悩にみちた一章の目撃者でもあるわけです。だというのに、あなたは問いを発していらっしゃる、それはみななぜそうなのでしょう?と。「なぜ?」−−だいたい、この「なぜ」という考え方は、生活の全体、そしてその様式を把握しようとする上では何の足しにもなりません。」

 いや……、言い過ぎたかもしれない。ローザは少し考え直す。ソニューシャは自分を励ますために、せっかくきれいな絵をたくさん贈ってくれたのだ。ローザは、ソニューシャのような人にもわかるようにペンをあらためる。

 「この世の中にアオイロヤマガラがいるというのはなぜなのだろう? わたしは、そんなことは全然わかりませんが、しかし、遠くから塀ごしに、あのせわしないチチベーがひょっくり聞こえてくると、ともかくこういう鳥がいて、こころよいなぐさめになるということがうれしいのです。」

 この世の中に他の人間の運命を左右してしまうものがいるというのはなぜなのだろう? わたしはいまそれとたたかうのに必死で、答えることはできないけれど、しかし遠くから塀越しに、あなたの手紙が届くだけでも、友情が変わらずにあるというだけで、ただそれだけでもうれしいんですよ? ローザはこの日の手紙の最後に、苦しい胸のうちをあかす。


 「あなたはとかく、わたしの「澄み切った心境」なるものをお買いかぶりになり過ぎます。わたしのこころの平衡状態も幸福感も、実に情けないことに、この身にふりかかるほんのちょっとしたかげで忽ち支離滅裂になってしまうのです。……わたしのミミをここへは決して来させまいと悲壮な決意を固めた理由は、かかってここにあったわけです。うちのミミは、はしゃぎ廻ることに慣れっこになっていますし、わたしが歌を唱ってやったり、笑ったり、部屋の中を鬼ごっこをして遊ぶのが何よりすきなのです。ここへ来れば、悲しくなってしまうでしょう。わたしはあれをマチルデにお任せするつもりです」

 ミミって、はて、ローザに小さな娘がいたのだろうか? いてもおかしくはないが、初耳だった。書簡集を読み返すと、そう、たしかに間違いない。ミミとはローザの愛猫の名前である。


【参考文献】
『獄中からの手紙』 ローザ.ルクセンブルグ/秋元寿恵夫・訳(岩波文庫)