1775年5月22日、ワットが蒸気機関の特許を取得する。

 さて、たまには『資本論』でも読んでみよう。古本屋なら全巻そろって1500円から3000円くらいである。古本屋さんも不良在庫がなくなって喜ばれるであろう。また電子版でも読むことができる。
 なぜ、マルクス主義が、一世を風靡して一時代をなしたのか、今となってはわかりづらいところがある。しかし、やはりマルクス主義は、『資本論』に始まり、『資本論』に尽きる。マルクスの死後遺された『資本論』第2巻、第3巻の、盟友エンゲルスによる解読と編纂から、マルクス主義は初めてマルクス主義として登場した。マルクスの判読不能な謎の象形文字の解読能力により、エンゲルスに高く評価されたカウツキーは、こんなことばを残している。

 「もしもいまワーグナーが生きていたら、彼はおそらくマルクス=エンゲルス遺稿の運命から、ニーベルンゲン物語と同じ一連のドラマを作ることができただろうに」

 マルクスの遺稿は、呪いのこめられたニーベルンゲンの指輪と同じように、それを手にしたものにさまざまな悲劇をもたらした。カウツキー本人にも。このことについては、またの機会にしよう。

 『資本論』の冒頭の価値形態論には、マニアックな……ときにカルト的に見えなくもない……ファンが少なくない。また、資本主義の発達について叙述した部分は、冒頭の印象に反して実に平明でわかりやすいものである。格好の歴史入門書といえよう。

 さて、マルクスが大工業の発展について触れた章は、こんな文章から始まる。

 「ジョン・ステュアート・ミルはその著『経済学原理』でいう、−−『従来なされたすべての機械的発明が何びとかの日々の労苦を軽減したか否かは疑わしい』(第4篇・第13章「機械と大工業」)。


 マルクスがこう指摘するのには、二つの意味あいがある。まず、ワットの蒸気機関をはじめとした「機械的諸発明」は、かえって労働強化に結びついたのではないかということ。そして、ミルも正確にいうのならば、「他人の労働によって生産するのではない労働者階級にとっては」というべきだった。機械設備は、上流のご結構な身分のブルジョアのだんな方を増やしたことも、疑問の余地がないからである。資本制のもとにおける機械設備と工業の発達は、不払労働時間の割合を増やし、剰余価値を大きくするためのカラクリなのだ。

 ところで、マルクスは、イギリスの経済学者たちがいう「道具」と「機械」についての定義づけにこだわっている。こういうインネンをつけさせると、実にマルクスは天才的である。

 ある人はいう−−道具とは「簡単な機械」であり、機械とは「道具を組み合わせたもの」である、と。なんのこっちゃい。これでは、ある国語辞典のように「石:岩石の小片」「岩:石の大きなもの」と同じで、たんなる同義反復で、何も説明していないと同じではないか。

 他方、道具では人間が動力であり、機械では自然力が動力であるという。こちらは、一見もっともらしい。しかしこの定義では、自然力の牛のひく犂(すき)は機械であるが、ただ一人の労働者の手によって運転されて1分間に96000の目を編む「クラウセン式回転織機」は道具にすぎないことになってしまう。それどころか、同じ織機も、手動モードなら「道具」であり、蒸気機関モードなら「機械」である、ということになるであろう。結局、このどちらの見方も、機械がどのように発展してきたのか、歴史的な見方を欠いているのだ。

 そこでマルクスは、すでに一定の発達をとげている機械設備を、機能別に分けて分析する。すなわち、「原動機」「伝動機構」「道具機」(作業機)である。

 原動機や伝道機構は、水車や風車のように、昔から活用されてきたものだ。水車は落水から、風車は風から、外部の自然力から動力を受け取り、はずみ車、駆動軸、歯車、滑車、シャフト、ロープ、ベルト……などで力を伝達する。このうち機械設備の最後の部分、「道具機」こそが、18世紀産業革命の出発点をなすものなのである。

 17世紀末、マニュファクチュア時代中に発明された蒸気機関そのものは、すぐさま産業革命を呼び起こしはしたりしなかった。むしろその逆に、道具機の創造こそが、蒸気機関の革命をもたらしたのだ。

 道具機の発達にともなって、それまでに開発されつつあったさまざまな原動力機構は、より大規模なものがもとめられるようになっていた。すでに17世紀には、二個の碾き臼回転機を一つの水車で動かすことが試みられている。しかし道具機の発達にともない、伝動機構の規模も大きくなる。水力では不十分になる。また、柄を押したり引いたりして動かす製粉機では動力の作用も不均一である。このことが節動輪(はずみ車)の理論と応用をもたらした。

 まずマニュファクチャの時代の科学や技術の発達がベースになり、ワットが発明した複動式蒸気機関によって、大工業時代は本格的な幕開けを迎える。

 ワットのいわゆる複動式蒸気機関の発明によって、どんなことが可能になったのだろうか?

 まず、蒸気機関は石炭と水を食ってみずからその動力を生み出す。気まぐれな水や風とちがって、完全に人間の管理下におけるようになった。

 そして、この発明は、生産活動をモバイル(可動的)にする。動力であると同時に、蒸気機関車のように、それ自身、移動手段にもある。

 ついでに、都会的であること。水車のように生産を地方に分散させるのでなくて都市に集中することを可能にする。

 ようするに、ワットの蒸気機関は、どこにでも適応できる普遍的なテクノロジーであり、その所在地において地方的事情により制約されることが比較的少ない新しい発明だったのだ。こうして、ワットの蒸気機関の革命により、資本制のグローバルな展開が可能になり、「機械によって機械を生産する」技術が確立されて、大工業時代も幕開けを告げるだろう。

 以上駆け足で、『資本論』をおさらいしてみた。最後となるが、『「資本論」と産業革命の時代』(新日本出版社)は、繊維メーカー技術者の立場から、何度もマンチェスターに足を運んで『資本論』の成立過程を追跡した労作であり、ぜひご一読をお勧めしたい。

【参考文献】
『資本論』 K.マルクス/長谷部文雄訳(青木書店)
『マルクス遺稿物語』 佐藤金三郎(岩波新書)
『「資本論」と産業革命の時代』 玉川寛治(新日本出版社)

【参考サイト】
▽資本論を読む(Kyawa's Page)
http://www5c.biglobe.ne.jp/~kyawa/index.htm
▽資本論 第一部前半(電子アーカイブ)
http://members.at.infoseek.co.jp/mypage/kapital/kapital0-0.html