1980年5月18日、光州蜂起。

 朴大統領暗殺事件後、韓国では民主化の気運が活発に胎動していた。5月17日,全斗煥ら軍部強硬派は、金大中はじめとした反体制派や旧政治家を一斉逮捕して、実権をにぎり、「ソウルの春」に終止符を打つ。

 そして、5月18日、これに抗議する光州の学生デモに、特戦団を投入して暴圧を加えた。

 学生・市民は郷土防衛軍の武器を奪取して、バリケードを築いて反撃する。
光州の学生・人民は、10日間にわたって光州市内を占拠、一般市民もこれに協力した。5月27日早暁、完全武装の戒厳軍が市内に突入。銃撃戦のすえに、市民軍は敗退した。死者は戒厳軍側発表で174人、一説には2000人ともいわれる。

 1997年に金大中が大統領になり、それに続く補償法制定など、「公式的」には「光州事件」は終わった。

 今日、「光州」を再び語る人びとを見つけるのはむずかしい。1980年代に新左翼系活動家のあいだで語られていた「光州の教訓」は、どこにいったのだろう? 南朝鮮革命の可能性、革命的前衛党建設の課題、革命と武装との諸問題は? しかしかつての過激派も、市民運動や労組運動に召還して、改良主義と合法主義のうちに延命をはかるのに忙しい。

 しかし、韓国の軍事独裁に抗して光州コンミューンを実現した光州蜂起は、決して光州だけの孤立した闘争ではなかった。1986年のフィリピンのピープルズパワー、88年ビルマの反独裁闘争、92年タイの民主化闘争、98年インドネシアの反スハルト民主化闘争、そして、今日の韓国民主労総の戦闘的なたたかいのへと続く巨大な歴史の流れの先頭に、光州蜂起は立っている。

 韓国でのネグリの受容は日本以上であり、自律的(オートノマス)な思想と運動がどんどん力をつけてきている。「前衛党」に対する幻影などを持たず、いまここにある危機からスタートした韓国労働運動は、日本の新旧左翼のようにソ連や社会主義の崩壊にダメージを受けることはほとんどなかった。

 光州蜂起を扱った韓国映画に、「ペパーミント・キャンディー」がある。この作品が描くのは、1979年から1999年に至るひとりの男の物語を通した、韓国の激動の現代史でもある。物語の発端は80年5月の光州である。兵役にあった主人公のヨンホは光州蜂起鎮圧に出動して、女子高生を射殺する。その後は労組や反体制活動家を拷問にかける刑事となり、青年実業家として成功を収めるが、最後には一切を失い死をえらぶ。

 ヨンホの生き様は、理解も共感も拒絶している。しかしこの生きる意味も目的も失った青年の引き裂かれた生き様こそは、「光州」以後の韓国が辿った歴史の寓話なのだ。光州は終わってはいないし、また終わることはできない。これは「光州の教訓」について語った私たちのすべてに問われていることである。



  「ああ、光州よ! われらの十字架よ!」
                 金準泰(キム・ジュンテ)

   ああ、光州よ無等山よ
   死と死の間で
   血の涙を流す
   我等の永遠なる青春の都市よ

   我等の父はどこに行ったのか
   我等の母はどこで倒れているのか
   我等の息子は
   どこで死にどこに埋められたのか

   我等の可愛い娘は
   またどこで口を開けたたまま横たわっているのか

   我等の魂はまたどこで
   裂かれ散り散りにかけらとなったのか

   
【参考サイト】
▽5・18光州民衆抗争
http://homepage1.nifty.com/ea-photo/kwangju/index.html

▽ペパーミント・キャンディー(amazon)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005HWS0/249-3403403-5189940

▽三枝寿勝の「韓国文学を味わう」 第 X 章
http://www.han-lab.gr.jp/~cham/ajiwau/chap10/chap10.html