1966年5月16日、中国で文化大革命が始まる。

 中共中央委が各級機関に対して、彭真らの「2月提綱」批判と中央文化革命小組設置の決定を通達する(5・16通知)。

 文化大革命を特徴づけるのは、紅衛兵の青年たちの活躍だろう。だから文化大革命の展開は、紅衛兵の項にゆずるとして、今回は、毛沢東が文化大革命に到るプロセスをおさらいしてみたい。
 5月2日の「百花斉放・百家争鳴」の項で見たように、毛沢東は中国にスターリン批判を受け入れようとする動きにたいして、「反右派闘争」をもってこれを叩きつぶした

 この対立は、1960年に始まる中ソ論争へと発展していくことになるだろう。このときの毛沢東のソ連共産党批判のキーワードは、「階級闘争」「プロレタリア独裁」「連続革命」の3つのキーワードに集約することができる。フルシチョフの共産主義は、「アメリカ式生活様式の共産主義」であり、「ブルジョア社会主義の一変種」にすぎないのである。

 中国では、外国人名に漢字をあてるが、フルシチョフは「赫魯暁夫」と表記された。「赫」はあきらかに示す、「魯」は魯鈍、「暁」は悟る、「夫」は男。毛沢東の意図は明らかだろう。おろかさを世界に示したあと、ようやく自覚する男。このフルシチョフ批判において、毛沢東が引用したのは、次のマルクスのことばである。

 「この社会主義は、連続革命を宣言し、プロレタリアートの階級的独裁を実現し、この独裁を必ず経なければならない移行の段階として、階級の差異を根本的に一掃し、これらの差異を生むいっさいの生産関係を一掃し、これらの生産関係に適応するいっさいの社会関係を一掃し、これらの社会関係から生まれる一切の観念を変えることをめざすものである」(『フランスにおける階級闘争』 訳文は北京・外交出版社版からの重訳による)

 レーニンやスターリンや毛沢東がマルクス主義者であったことほど、ロシアや中国の民衆にとって迷惑この上ないことはなかった。このことについいては、またの機会に譲るとして、毛沢東が引用した箇所を、マルクスの原文と読み比べてみると、いろいろおもしろいことがわかる。ここでは、「連続革命」といわれているのが、通常は「永久革命」ないし「永続革命」といわれるものであるところに留意しておこう。そうしないと、トロツキーを連想させてしまうからだ。

 さて、中ソ論争の結果、ソ連も技術者を引き揚げてしまい、中国への協力をやめてしまう。社会主義の総本山であるソ連と決別した毛沢東に残されていたのは、もはや、「人民の海」の大衆運動のパワーだけである。これは抗日戦争に勝利した中国共産党の伝統である。人民大衆の総力を結集して、人海戦術で物量の貧弱さをカバーするのだ。

 こうして毛沢東が提唱したのが、第2次五ヵ年計画である。それは、農業の集団化により、農村を人民公社に移行させ、食料の大増産をはかるとともに、鉄の大増産により工業化を実現する「大躍進」をめざすものだった。5年後には、イギリスを抜き、10年後にはアメリカを追い抜こうという壮大なプロジェクトだったのである。

 農業については、さしたる成果は見られなかった。しかし工業については、大失敗だった。工業の失敗が農村にも悲劇をもたらす。毛沢東理論は、人民戦争の理論としては正しかったかもしれないが、ひとたび社会建設に適用されるや、とんでもない悲劇の始まりであった。

 たとえば、鉄をつくるにも、人民中国流の、社会主義の理想に照らした正しいやり方がある(と、毛沢東は考えた)。大きな製鉄所をつくるのは、アメリカ帝国主義やソ連修正主義のやり方なのである(これも毛沢東の考えである)。

 1959年4月、共産党中央書記処が提唱したのは、「いっさいの資源を集結する土法製鉄運動」であった。この決定にしたがい、全中国の農民たち……当時6億の国民の大多数……は製鉄にはげんだ。土法製鉄、すなわち、鍋や釜を裏庭の炉に放り込んで鋳熔かして鉄にきたえるという、実に古代的な製鉄法である。しかし、春秋時代ならいざ知らず、そんな原始的な方法で打ちかためた鉄が、船舶や飛行機、銃器や大砲や戦車に利用できるだろうか? こうして使い物にならないくず鉄が800万トンもできてしまった。

 悲惨だったのは、その鉄を鋳熔かすために、農民たちが燃料として森林を伐採したことである。当時の中国の人口は6億人。山という山は、みなはげ山になってしまった。これが黄河などの大洪水をひきおこした。さらに、鉄鋼増産が優先されたため、農民たちが収穫寸前の作物を田畑に放置する事態まで引き起こされた。その結果はどうなったろう? 飢餓である。1959年末から栄養失調のために餓死した人の数は、諸説あるが1500万人とも4000万人ともいわれる。

 毛沢東は、国家主席の地位を退いた。これは明らかに毛沢東の引き起こした「人災」以外の何物でもなかったからだ。そして毛沢東よりは現実的な考え方をもっている人たちが前面に登場した。新しい国家主席の劉少奇、共産党総書記トウ小平、共産党副主席の陳雲である。この3人が大躍進で疲弊した農業・工業を復興させていこうとする。トウ小平はここで有名な「白猫黒猫論」を提唱する。

 「いい猫とはネズミを捕る猫だ。その猫が黒い色をしているか、白い色をしているかは関係ない」

 生産性をあげるための技術が、社会主義だろうが資本主義だろうが関係あるだろうか(いや、ない)。人民公社による過度の集団化も見直され、自由処分も認められる。農産物は自由市場に供給されて販売されることになる。この調整政策は成功し、生産力も回復する。同時に、劉少奇やトウ小平の権威も上昇していく。

 しかし、われらが毛沢東が、こんな「修正主義分子」の跳梁を許しておくだろうか? 絶対そんなことはない。毛沢東は、権力の奪回を決意する。こうしてプロレタリア文化大革命が発動する。この続きは、「紅衛兵登場」の項にて。

【参考文献】
『毛沢東』 竹内実(岩波新書)
『現代史入門』 青木裕司(幻冬舎)
『よい子の文化大革命』 武田雅哉(廣済堂ライブラリー)