岩波のデジタル歴史年表より、気になる項目を抜粋してみる。

 ■1906年5月9日、北一輝(1883〜1937)が「国体論及び純正社会主義」を自費出版する。

 ただし、北のデビュー作は発売5日にして発禁処分となる。

 明治憲法で確立された天皇制国家の持つ矛盾性と危険を鋭く指摘し批判したが故である。その批判があまりにも正当なものだったために、以後、危険人物とされたのだ。北の指摘した矛盾。

 「天皇が現人神として無謬の神として国民道徳の最高規範として君臨することと同時に天皇は元首として過ちと失敗を繰り返さざるを得ない政治権力の最高責任者に位するものと定めた明治憲法の二元性」
 「国体論」の出版・発禁により、北は社会主義者に知られるようになった。
 幸徳秋水や堺利彦らとの交友が始まる。また当時日本に亡命していた「中国革命同盟会」に入党する。さらに内田良平を中心とする大陸浪人の「黒龍会」特派員として中国に渡り、革命軍と行動を共にする。1913年、革命指導者のひとり宋教仁が暗殺され、北も国外追放処分。1917年再び上海に渡り、五四運動のなかにありながら、断食40日間を経て完成させたのが『日本改造法案大綱』である。

■1915年5月9日、中国が日本の21ヵ条要求を受諾する。

 以後、中国はこの日を「国恥記念日」とする。


■1916年5月9日、イギリスとフランスが、中東での勢力圏を取り決めるサイクス・ピコ秘密協定に調印する。

 サイクス(イギリス外務省・中東担当官)とピコ(フランス前駐ベイルート領事)との間で、パレスチナからメソポタミアに渡る広汎な旧トルコ領の戦後処理について秘密協約が結ばれた。これにロシアも一枚かんでいる。

 しかしこの協定は1915年のフサイン・マクマホン協定と明らかに矛盾するものだった。こんにちの中東の紛争の原因を作ったのは、帝国主義列強、特にイギリスの二枚舌三枚舌の外交が原因である。

 この秘密協定は、1917年に、ロシア革命政権が暴露。以下のサイトが地図入りでわかりやすいが、「4月26日」を調印日としているのは、ロシア暦を採用しているためだろう。

http://ww1.m78.com/topix-2/sykes%20picot%20agreement.html

■1954年5月9日、杉並区の主婦らが、原水爆禁止署名運動杉並協議会を結成。

 3月1日に、静岡県焼津のマグロ漁船「第五福竜丸」がビキニ水爆実験に、東方約160キロで遭遇したのがきっかけだった。
 東京都杉並区の婦人団体、読書サークル、PTA、労組の代表39人が、杉並公民館で「水爆禁止署名運動杉並協議会」を結成。「全日本国民の署名運動で水爆禁止を全世界に訴えましょう」の杉並アピールを採択して署名活動を開始。28万筆の署名が集まり、原水禁運動の発端となる。

■1966年5月9日、日米協議で、沖縄の旅券国籍欄を「琉球人」から「日本人」とすることで合意する。

 先日の九条の会の集いで、ある民主団体の幹部が「平和憲法あっての戦後経済の繁栄」と発言するのを聞いたとき、思い出したのは「沖縄を切り捨てた虚妄の平和」という新崎盛暉氏のことばだった。
 1947年の新憲法によって、性別・財産・身分に関係なく、選挙権および国会議員・地方議会議員・地方公共団体の首長・教育委員の被選挙権が与えられた。……しかし、このなかには、この列島に住む朝鮮人・中国人と同様に、唯一の本土決戦を体験した琉球人も含まれていなかった。
 「沖縄自立」か、あるいは「琉球独立」か。「琉球自治政府」か、あるいは「琉球弧共和国」か、さまざまな議論がある。どのような政治体制を論じるにせよ、沖縄の民衆の歴史意識や記憶に遡って論じる必要がある。
 唐ぬ世から大和ぬ世、大和ぬ世からアメリカ世、アメリカ世からまた大和ぬ世、ひるなき変わゆる、くぬ沖縄。沖縄民衆の絶望と絶望のなかに、日本近代の根底を問い、「にが世」から「あま世」へと到るためのビジョンが存在している。