1941年5月6日、スターリンがソ連首相に就任。

 最近、つぎのようなニュースが報じられた。ご記憶のかたもいらっしゃるだろう。

 ■58%がスターリン評価 戦勝式典前に露世論調査

 【モスクワ1日共同】インタファクス通信によると、旧ソ連の独裁者スターリンが第二次世界大戦に果たした役割を評価するロシア国民が58%に上ることが 1日公表された世論調査で分かった。対ドイツ戦勝60周年記念式典を9日に控え、ロシアでは大粛清を行ったスターリンが「戦争の指揮者」として“復権”する傾向にあり、懸念する声も出そうだ。
                (共同通信  5月1日20時57分更新)


 この調査は4月23日−24日にロシア全国1500人を対象に実施されたものだという。内訳をもう少し詳しく見ると、スターリンを肯定的に評価したのは、55歳以上では68%、共産党員では85%にも達した。大都市圏在住で高い教育レベルの市民の支持は18%にすぎなかったが、農村での支持は65%におよんだという。

 祖国防衛戦争を勝利に導いた指導者として、今や「復権」の兆しさえある鋼鉄の人・スターリン。この動きは要チェックである。

 スターリンがソ連首相に就任したのが、1941年のきょうのことである。この日をもって、偉大な同志スターリンは1923年以来はじめて書記局から歩み出て……といっても、戦争中もほとんどクレムリン宮殿に閉じこもっていたのだが……直接、政府の責任をとることになったのである。

 6月22日のドイツ軍のソ連侵入は目前に迫っていた。スターリンは政治・軍事の最高権力とその全権を握り、ついにヒトラーとの開戦を決意したのだろうか? たしかに首相就任の直前のこの年のメーデーは、常になく軍事力を誇示するものだった。しかしそれにしては、スターリンの行動は不可解で理解に苦しむものだった。

 まずスターリンは国境地帯への大軍集結の噂を否定する。以前は承認を拒否していた親独的イラク政府とも外交関係を再開した。極めつけは、ナチス・ドイツに占領されたベルギー、ノルウェー、ユーゴの諸国の大使に、政府が消滅したことを理由として、大使館閉鎖を要求していることだ。これは明らかにヒトラーのごきげんをとるための措置だった。

 スターリンのさまざまな行動のうち、ヒトラーとの取引ほど、論争を巻き起こしてきたものはないだろう。ワイマール共和国崩壊後、ドイツ左派の人たちは「スターリンがいなかったらヒトラーは生まれなかったであろう」と繰り返してきた。もちろん、ドイツ左派の失敗や敗北の責任をスターリンにすべて転化することはできない。しかし、スターリンの政策が、ヒトラーの勝利に寄与したことは否定できない。そしてその貢献活動は、戦争直前まで続いていたのである。

 スターリンは戦争準備が整うまで、時間をかせごうとしていたらしい。1941年の時点では、ドイツの攻撃にそなえた作戦計画もなく、また兵器の生産も追いついていなかった。武器の大量生産が始まったのは、戦争直前のことで、多くの要塞地区が防衛能力を持っていなかった。旧式の武器は使用停止になったままだったし、一方では新式の武器が届いていなかったのである。戦車や大砲や飛行機ばかりではなかった。戦争初期には、フルシチョフが回想するように、兵士たちを武装するのに十分な小銃さえなかった。

 ソ連のこうした状況は、ナチス・ドイツには筒抜けだった。ドイツ国防軍と国境守備隊は、たびたびソ連領に侵入して砲火を開いて挑発した。ドイツの偵察機は領空侵犯しほうだいで、国境地帯の重要施設の空中写真を撮影することができた。完全になめきっていたのだ。ドイツ偵察機の行動は、ソ連領内の飛行場に着陸を強行するところまでエスカレートした。ドイツの飛行士たちは「道に迷った」と申したて、そのまま何のおとがめなしで帰ることを許されている。この一件では、ソ連の管区司令官も、せめて威嚇砲撃によってドイツ空軍の行動を阻止する許可をモスクワに求めたが、「君は戦争を挑発したいのか」と逆にとっちめられたという。

 戦争までの数ヶ月、スターリンがドイツとの戦争をひどく恐れていたらしいことは、いくつもの資料が伝えている。ソ連側が何か警戒心を見せると、ヒトラー一派に戦争の口実に利用されないかと、ただそのことばかり心配していたのだ。

 もちろん、ベルリンのソ連大使館はヒトラーのソ連攻撃準備について、たえずモスクワに情報を送り続けた。日本のゾルゲも、ドイツの対ソ攻撃の正確な期日のみならず、侵入軍の数、司令部の作戦・戦略計画について知らせている。しかしスターリンはこの報告を考慮しなかったばかりでなく、ゾルゲを召還して「人騒がせ屋」「虚報屋」として処罰するつもりだったと伝えられている。ゾルゲはスターリンの命令に従わず、日本で処刑されたが、帰国しても銃殺されていただろう。

 ヒトラーが将軍たちと軍事参議会を開いて、ソ連攻撃を最終的に決定したのは6月14日のことである。しかし同じ日のソ連の新聞には、次のような政府広報が載せられている。

 「ソ連の材料によれば、ドイツは、ソ独不可侵条約の条項を、ソ連邦と同じように、確固として順守しており、そのためソヴィエト筋の見解では、ドイツが条約に違反し、ソ連に攻撃を加える意図があるという風説には、なんら根拠がない」

 ドイツは誠実かつ良心的に不可侵条約を履行している……というのは、スターリンの願望にすぎなかった。

 いったいぜんたい、ソ連はどうなってしまうのだろうか? スターリンのソ連を不倶戴天の敵と見なしてきた私も、さすがに心配になってきた。第一、スターリンは、戦争中、地球儀を使って作戦を指揮していたという有名なエピソードもあるではないか。だいじょうぶなのか?

 この続きは、ドイツ軍が宣戦布告なしにソ連攻撃を開始して、バルト3国を占領した独ソ開戦の日、6月22日の項にゆずろう。(つづく)

【参考文献】
『スターリン』 I.ドイッチャー/上原和夫訳(みすず書房)
『共産主義とは何か』 P.A.メドヴェーデフ/石堂清倫訳(三一書房)
『フルシチョフ秘密報告「スターリン批判」全訳解説』 志水速雄(講談社学術文庫)