1956年5月2日、毛沢東が「百花斉放・百家争鳴」を提起する。

 毛沢東によって提唱された芸術言論自由化運動。学説や芸術作品を自由に発表したり論争させることで、学術・芸術文化の活性化をはかり、同時に共産党と非党員の関係修復をめざすものだとされた。文学や芸術については「百花斉放」、学術については「百家争鳴」という。

 5月2日の最高国務会議の席上、毛沢東はつぎのように語っている。

 「春がきたではないか。百種類の花が咲くようにしてやれ。五、六種にかぎって咲かせるのも、五、六種にかぎって咲かせないのも、よくない。百花斉放であるべきだ。
 百家争鳴は諸子百家、春秋戦国時代、二千年前に、たくさんの学説があって自由に論争したことをいう。いま、これが必要だ。憲法の範囲内で、正しかろうが、まちがっていようが、いろんな学説を発表させる。干渉しない」
 党宣伝部長の陸定一が、これを党の政策として公表するや、本格化した。

 毛沢東が「百花斉放・百家争鳴」を提起した背景には、スターリン批判、平和共存論などでソ連との関係が悪化していたこと、ハンガリー革命など共産党支配の動揺に、中国共産党が危機感を持っていたことがあげられるだろう。特にハンガリー革命の衝撃は大きく、あんな動乱になる前に自由に意見を出してくれという要請だった。

 共産党は人々から自由な意見を求めるとし、知識人や学者、芸術家らに対して、党や国家への批判を奨励した。とくに共産党以外の党派の人々、無党派の知識人に向って発言が求められた。

 しかし、冒頭に示した毛沢東の談話も、のちに文書化されたものからは削除されている。自由といっても限界があると思ったのだろう。さらにいえば、「百花斉放・百家争鳴」も、毛沢東が自発的に提起したものではなかったらしい。スターリン批判を受け入れて、党改革の流れを推進しようとした陸定一らのグループに押し切られたというのが真相のようである。毛沢東自身は、「ソ連ではスターリンを過去に一万丈ももちあげたひとが、いまや一挙に地下九千丈にまでこきおろしている。わが国でも、そのあとにくっついて転回したひとがいる」(「十大関係について」)と語っていたように、スターリン批判には賛成ではなかったのである。

 それなのに、毛沢東は言論を開放して、いったいどうしようとしていたのだろうか。劉少奇−トウ小平という党内の別のラインに打撃を与えようとしたのだ。

 「百花斉放・百家争鳴」からさらに発展して、こんどは「大鳴大放」が叫ばれた。中国共産党や党の指導者をどのように批判してもよいのだ。「それならば」と共産党に対する批判が噴出する。しかし批判の基調は共産党が中国を支配していることそのものに向けられていた。そしてこの批判は一般大衆の共感を呼び、学校・工場にも広がっていった。

 ここで中国共産党は突如方針を変更する。

 「これはどういうことか」

 1957年6月8日、共産党機関紙『人民日報』の6月8日の社説に掲げられたタイトルである。この社説は毛沢東自身の執筆になるものだった。

 これまで自由に共産党を批判した人たちは、「右派分子」として非難、罵倒、嘲笑の対象になった。一言、二言、不平をもらした民衆も批判の対象になった。


 1956年の第8回党大会で、ソ連共産党のスターリン批判、個人崇拝批判をもりこみ、党規約から「毛沢東思想」という用語も削除した。さらに中央書記処に総書記を親切した(総書記はトウ小平)。党主席といえども、書記処を通過しなければ何もできなくなるはずだった。

 毛沢東はこの決定に表向き反対はしなかった。そのかわりに行ったのが、「百花斉放・百家争鳴」闘争である。まさに「君子豹変す」ということばがふさわしい、毛沢東の政治手法がよく見て取れるだろう「百花斉放・百家争鳴」でスターリン批判の流れに便乗して、大衆的なカオスを作り出して主導権を握った段階で、「反右派闘争」で一挙にこれを潰してしまうのである。

 毛沢東が一種の「天才」だったのはまちがいない。しかし毛沢東は権力の奪回に成功したが、民衆や知識人に与えた失望、そして経済や社会に残した傷跡も大きかった。

 「右派分子」というのは、たんなるレッテル貼りではない。このレッテルを貼られると、社会活動を停止され、公民権も剥奪されたのである。中国の教科書でも60万人(魏京生の指摘では100万人)が逮捕され、処刑または極寒地での労働改造所へ追放されている。

 人口の増大の放置が危険であり、計画出産が必要と訴えていた北京大学総長の馬虎初も「反マルクス主義論」として弾圧されて、南方へ追放されてしまった。これが現在1979年に始まる有名な人口抑制政策「一人っ子政策」を採用せざるを得なくなった契機になっているのである。

【参考文献】
『毛沢東』 竹内実(岩波新書)
『現代史入門』 青木祐司(幻冬舎)

【参考サイト】
▽毛沢東選集 電子アーカイブ
http://members.lycos.co.uk/jcia/mao/archive.htm