1937年4月26日、ゲルニカ爆撃。

 「画面一帯は惨憺たる状景である。阿鼻叫喚。引き裂かれたもの、押し潰されたもの、断末魔の馬、折れた剣、死児を抱え、叫び狂う女。ただ一匹、たくましい残忍な牡牛だけが冷ややかにこの犠牲を見下ろしている。灯が悪夢を照らし出す。それは深夜の出来事である。」(「ゲルニカ」岡本太郎)

 ゲルニカは、ビルバオの東方、約20キロにあるビスカヤ州の、人口7000人の古都である。東にはピレネーをのぞみ、北にはビスケー湾、スペインとフランスの国境に位置して、14世紀以来、バスク地方の自治の中心地だった。

 4月26日は月曜日だった。市の開かれる日だった。ナチスは市に集まる人たちでシティ・センターが一杯になることを知っていたのだ。教会の鐘の音が空襲を知らせた。フランコの反乱軍を支援するドイツのハインケル機がゲルニカに最初の爆弾を投下する。逃げまどう住民に続いて現れたユンカース機が機銃掃射をあびせ、さらに一斉の焼夷弾をあびせた。住民皆殺しを意図した絨毯爆撃。20分おきの波状攻撃は7時半まで続けられた。ゲルニカの犠牲者は、今ももって正確な数字はわからないが、1654人が定説とされている。

 「鳥を抹殺したければ、飛んでいる鳥を撃ち落とすだけではたりない。
 卵と巣が残っている」(『制空権』ジュリオ・ドゥーエ。イタリアの将軍、戦略爆撃理論の創始者)

 この制空権−戦略爆撃理論を、さらに精緻に完成して日本軍部にも影響を与えたのが、ルーデンドルフ(1865-1937)の『国家総力戦』(1935 年)であった。第一次対戦後の戦争は文字通り国家の物質力と精神力の総力を動員した戦争になるだろう。国民皆兵の徹底による兵力の大量動員、近代兵器の大量生産・大量使用。そしてその戦争の性格も、殲滅戦争の形態をとるだろう。

 「しからばその最終戦争はどういう形をとるかを想像してみます。戦争には老若男女全部、参加する。老若男女だけではない。山川草川全部、戦争の渦中に入るのです。(中略)
 いよいよ真の決戦戦争の場合には、忠君愛国の精神で死を決心している軍隊などは有利な目標ではありません。最も弱い人々、最も大事な国家の施設が攻撃目標になるのです。工業都市や政治の中心を徹底的にやるのです。でありますから老若男女、山川草木、豚も鶏も同じになります。かくて空軍による真に徹底した殲滅戦争となります。国民はこの惨状に堪え得る鉄石の意志を鍛錬せねばなりません」(『最終戦争論』石原莞爾、1940年)

 石原の唱えた「最終戦争論」は、戦争を廃絶する戦争だった。これゆえ石原は日米戦争の開戦に反対した。世界最終戦争を実現する核兵器の開発はもとより、航空機も持たず、愚かな対中戦争によって「東亜聯盟」の理想も、生産力拡充計画も頓挫していたからである。しかし、「満州事変」によってパンドラの箱を開いてしまったのは、ほかならぬ石原であった。

 「老若男女」も「山川草木」も「豚も鶏」も、総力戦体制の戦略と効果から見た、アイヒマンがいった「統計上の問題」にすぎない。ゲルニカの虐殺も、ナチスの非人間性というよりは、そこに含まれる冷酷な能率=生産性優先思想をしめすものだったのだ。

 1986年4月26日、チェルノブイリ原発事故。

 チェルノブイリの事故を最初に報じたのは、スウェーデンの観測所だった。最初の放射能雲は西から北西方向に流され、ベラルーシ南部を通過しバルト海へ向かい、4月27日に海を越えたスウェーデンで放射能が検出されたのである。ソ連が事故発生を公表したのは28日になってからである。

 ソ連は事故から4ヶ月後の1986年8月、IAEA(国際原子力機関)に事故報告を提出した。原発に隣接するプリピャチ市住民4万5000人が避難を開始したのは、4月27日。周辺30km圏の13万5000人の住民が避難したのは、こともあろうに事故から1週間が経過した5月3日から5日かけてだった。……翌日にはスウェーデンで放射能雲が観測されていたというのに!

 事故を最初に報じたのがスウェーデンの観測所で、ゴルバチョフが知らされたのはその後、一番最後に知らされたのが、チェルノブイリの周辺の住民だった。このチェルノブイリ原発事故ほど、ソ連の社会主義体制が完全に破綻していることを世界に示す事件はなかった。ゴルバチョフはペレストロイカを提唱する…… しかしもはや完全に手遅れだった。

 アドルノのひそみにならえば、チェルノブイリの後になおも革命や共産主義を唱えるとは野蛮である。しかし私たちはあえてこのアドルノの「野蛮」を引き受けよう。すなわち、自らの過失、自らの政策の誤りについて、自己を免責しないこと――そして、 未来に直面して共有すべき政治的責任も不可避である。

 21世紀のピカソたちのために、「キッズゲルニカ」「The Art Project of Chernobyl」、2つのサイトを紹介しておきたい。チェルノブイリの年に生まれた子どもたちは、来年、二十歳になる。


【参考・引用文献】
『青春ピカソ』岡本太郎(新潮文庫)
『スペイン内戦』川成洋(講談社学術文庫)
『最終戦争論・戦争史大観』石原莞爾(中公文庫)

【参考サイト】
▽「キッズゲルニカ 国際子ども平和壁画プロジェクト」
 ピカソの「ゲルニカ」と同じ3.5m×7.8m の巨大なキャンバスに、世界各地の子どもたちの手によって平和の絵を制作するプロジェクト。
http://www.kids-guernica.org/ja-index.html
▽『ファルージャ 21世紀のゲルニカ −新たなピカソはどこに? 」ソール・ランドー
http://www.jca.apc.org/~kmasuoka/places/iraq041128b.html
▽The Art Project of Chernobyl
http://www.apch.jp/jp/about/index.html

▽「チェルノブイリ原発事故」今中 哲二氏
http://www-j.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/cher-1index.html