今日はレーニンの誕生日(1870年・ロシア暦4月10日)。ちなみに哲学者カントもこの日の生まれである(1724年)

 しかし、最近ロシア革命に関連する話題が続いたので、今日は目先を変えてみたい。

 「征夷のため、3年以内に東海・東山両道に革甲2千領を造ること命ずる。」−−790年4月22日[延暦9年3月4日]

 「蝦夷」と「革」の結びつきが気にかかる。
 天皇桓武は、789年の衣川の戦いで、アテルイ(阿弖流為)の東北軍に大敗を喫しても、なお東北「征討」をあきらめることはなかった。桓武は歴代の天皇のなかでも「蝦夷征伐」を最も強硬に主唱した天皇である。革甲(甲冑)の製造も、東北侵略を完遂するために桓武が発した軍制改革の一環である。
 ここで「日本国」という言い方に、違和感を感じる向きもあるかもしれない。壬申の乱で勝利した天武の時代に、国号が「倭国」から「日本国」に改めたことは周知のとおりである。これは唐帝国をモデルに、「蛮」夷を服属させるミニ「中華」帝国として自らを位置づけ、「文明」的と自任するその国政を未開な「夷狄」に押し付けるイデオロギーの確立を示すものだった。

 桓武は道鏡時代の混乱ののちに、天武系の血をひく皇統を完全に根絶やしにして権力を掌握した天皇でもある。唐をモデルにした中央集権的な政治の中心としての新都建設(長岡京のちに平安京)と、反抗する「蝦夷」を殲滅して、東北北部を征服する「軍事」は、両面一体の政策だった。

 しかし東北人はこの日本国の侵略に頑強に抵抗して、屈服することはなかった。日本国は多賀城をおいて、ここに陸奥国府をおいて北への圧力を強める。しかし東北人は774年(宝亀5年)に、東北侵略の拠点である桃生・胆沢城を攻撃し、ここに古代史家のいう「38年戦争」が始まる。

 「歩騎数万」といわれた天皇軍団を迎え撃った東北軍の最大の武器は、山や川、彼らの生活の母体である自然そのものだった。衣川の決戦における天皇軍団の戦死者数がそれを物語っている。

 「官軍戦死二十五人、矢に当る者二百四十五人、河に投じて溺死する者一千三十六人、裸身にして游ぎ来るもの一千二百五十七人」(『続日本記』)

 戦死者よりも溺死者のほうがはるかに多い。たしかに鉄の甲冑では溺れてしまうだろう−−と考えて記録をよく見直すと、『続日本紀』の780年(宝亀12 年)8月18日に、鉄の甲冑から革の甲冑に切り替えるとある。すぐに錆びて補修を必要とする鉄の甲冑にくらべて、軽いわりには堅固で耐久性もある革の素材が注目されたのだろう。「鉄の甲は3年に1度、修理してきたが、手間と労力を費やすわりには、修理してもすぐに綻びてしまう」という内容の記述がある。

 山野を自由に駆け巡る東北軍のゲリラ戦術は次のようなものだった。「蜂の如く屯し蟻の如くに娶り、首として乱階を為す、攻むるときは即ち山藪に奔逃れ、放つときは則ち城塞を侵し掠む」(『続日本記』)。

 アテルイの率いる東北軍に次々と打ち破られる日本国の軍団の弱体化は覆うべくもなかった。桓武は軍制の決定的な改革に踏み切る。律令制度から逃れた「雑色の者」「浮浪人」で弓矢や乗馬に優れたもの、さらに武勇に優れた常陸国鹿嶋社の「神賎」を軍団に加える。

 さて、革甲の製造に必要な期間が「3年以内」とされたのは、なぜだろう。革加工の技術は中国や朝鮮から渡来したばかりの新技術で、技術者が少なかったせいもあるかもしれない。その製造方法は動物の腐熟した脳漿の液に皮を入れて、揉んだり踏みつけたりしてなめした後に、植物染料に浸漬したり、煙で燻して染色したと考えられている。「賦役令」(ふやくりょう)には、調の副物として、正丁一人に対して納める各品目の中に、「脳一合五夕」とある。考古学上の調査で、頭蓋骨がない馬の化石が発見されており、全国から皮革加工のために牛や馬の脳が徴用されていた。しかしただちに皮革のなめしに使用できるわけではない。牛の脳を使った実験では、加脂剤に適したレベルまで腐熟させるためには、1年5ヶ月が必要だったという。「3年以内」は時間があるように見えて、当時は今に比べて馬や牛も稀少だったことを考えれば、「蝦夷討伐」を急ぐ桓武としても、ギリギリ待てる「リミット」だったのだろう。

 これ以降、皮革加工の技術は、武具の製造に不可欠のものになっていった。この日の『続日本記』の記述は、その比較的初期の記録だろう。そして、西日本、特に畿内地方では「穢れ」に対する忌避が強くなり、葬送にかかわる人々、死んだ牛馬を処理し皮革を作る職能民に対する賎視が、社会のなかで固定化されていく。戦争と差別はその始源において分かちがたく結びついていることを考えてみるために、『続日本記』のほんの数行の記述にこだわってみた。


【参考・引用文献】
『続日本記 2』(東洋文庫)
『「日本」とは何か』網野善彦(講談社)
『日本社会の歴史 上』網野善彦(岩波新書)
『増補 アイヌ民族抵抗史』新谷行(三一新書)

【参考サイト】
▽平城京朝廷の蝦夷政策メモ
http://www.ichinoseki.ac.jp/satok/SATOK/data/nihongi.html
▽「日本古代の皮革―加脂剤を中心として―」
http://blhrri.org/kenkyu/project/mibun/mibun_0004.htm
▽「皮革の歴史」
http://www63.tok2.com/home2/ahonokouji/sub1-60.htm