きょうは昨日の補足である。はたしてスターリン主義は克服されたのだろうか。

 わが左翼政党・党派のいうことを信じれば、もちろん、「スターリン主義の誤り」は克服されたのである。わが日本共産党は「大国の覇権主義」との決別を宣言した。革共同両派は「反帝国主義・反スターリン主義世界革命」の旗のもと結集している。第四インターはトロツキズムを復権した。エトセトラ。しかし不思議なことに、スターリン主義の問題がそっくり残っているのはなぜだろうか?

 たとえば、連合赤軍の総括リンチや、革共同両派の「内戦」は、スターリン主義の粛清の国内版ではないのだろうか? 「正しい理論」に貫かれていれば、それはスターリン主義ではないとでも? 百歩譲って、理論は正しいのかもしれない。しかしどうしてまあ諸君は、同じような誤りばかり繰り返してきたのだろうか?
 日本共産党のいわゆるルーマニア問題は、この問題を考えていく上で、一つの教訓になる。1971年に2週間にわたりルーマニア社会主義共和国を訪問した宮本顕治は、次のように演説している。

 「パレードや各地の訪問をつうじて、ルーマニアの労働者階級と各界の広範な人民が、チャウシェスク同志を先頭とするルーマニア共産党中央委員会の周囲にかたく団結して、意気高く、社会主義ルーマニアのいっそうの前進のため、全力をあげて奮闘している姿を、具体的に知ることができました」「あなたがたの活動が、全体として、社会主義建設の理想についての新しいはげましをあたえる要素をもっていた」と賛辞を送っていた(「赤旗」1971年9月5日「日本共産党とルーマニア共産党の兄弟的友情のための集会での演説」−−後に『自主独立の道』新日本出版社1975年に所収)。

 日本共産党とルーマニア共産党との密接な友好関係は、チャウシェスク政権が打倒される1989年まで基本的には続いていた。1989年1月20日、日本共産党中央委員会とルーマニア共産党中央委員会は共同文書を発表し、ゴルバチョフの「新思考路線」に反対する立場を表明している。日本共産党の『80年史』ではこの事実が抹消されているのは言うまでもない。

 チャウシェスク政権が打倒された後、「日本共産党はチャウシェスク政権の人権蹂躙の事実を知らなかったし、当時の認識は正しかった」といいのがれようとした。しかしのこのあまりもの嘘と強弁に見るに見かねて、元共産党ジャーナリストの厳名康得(いわなやすのり)氏が、サンデー毎日(19903月4日号) に手記を寄せる。「元赤旗ブカレスト特派員が宮本共産党を告発!!/私のルーマニア警告はこうして無視された」である。

 チャウシェスク政権の人権抑圧は、国際社会の常識だった。アムネスティ・インタナショナルの年次報告は、毎年、数ページを割いてルーマニアの人権蹂躙をきびしく非難していた。1983年にも「ルーマニア…1980年代における人権侵害」と題する全文27ページの英文パンフレットを発行してルーマニアにおける人権侵害を詳細に報告していた。

 いわなやすのり氏の「手記」は、「宮本顕治議長よ、誤りを認めよ」として、宮本議長(当時)に対する公開質問状である。そしてチャウシェスクの個人崇拝・個人独裁体制、圧制については、1977年〜80年当時ブカレスト特派員だったいわな氏自身が、党本部へ報告していたにもかかわらず握りつぶされていた経過を明らかにする。

 「宮本氏は、チャウシェスク独裁を美化し、その強化に一役買った。このことについて、宮本氏はルーマニア国民にたいし良心の痛みをまったく感じないのだろうか」
 「ここで明らかなのは、宮本氏が、対外政策だけでなく、ルーマニアの社会主義建設、国内体制にたいする肯定的評価、ひいては、この面でのチャウシェスク体制支持にまで深くコミットしていたという事実である。これでも、宮本氏は、チャウシェスクとの親密な付き合いは、対外政策の面での一致に限られでいたと強弁するつもりだろうか」
 「本当に、あなたに責任ないのか」

 当時、社会主義国にいる「赤旗」特派員は、宮本の指示のもとに、「社会主義の優位性について攻勢的な宣伝を書け」と命じられていたという。とくに1980年衆参同時選挙後は、「反共陣営が反社会主義宣伝をやり、社会主義のイメージ・ダウンを図ったため、選挙で後退した。今後は、社会主義の優位性について攻勢的な宣伝をやる。各特派員は、至急、任地の社会主義の優位性について企画を送れ。これは“最高指示”である」との指令が外信部から出された。 “最高指示”とは、いうまでもなく宮本議長の指示である。
 
 いわな氏が間題にしたのは、共産党や宮本顕治議長の矛盾や誤りそれ自体ではない。レーニンは、必要な場合にはいつでも「諸君、われわれは間違った」と卒直に誤りを認めたことで知られている。 間題は、あくまで白を黒といいくるめ、「宮本顕治無謬」論、「日本共産党無謬」論にあった。

 もちろんわが共産党が「党史」からチャウシェスクとの蜜月は抹殺できても、人々の記憶を消し去ることはできない。議席のほかに失うものをすでに何も持たないわが日本共産党は、誤りは誤りとして認めることのいったい何を恐れる必要があるだろうか。「完全無欠」「無謬」の党中央の指導のもと、現場で苦闘する誠実な党員諸君のために、以下のローザ・ルクセンブルグのことばを贈っておきたい。

 「現実に革命的労働者運動が現実の中でおこなう誤りは、歴史的には最上の『中央委員会』の完全無欠にくらべて、はかりしれないほど実り豊かで、価値多い」(『ローザ・ルクセンブルグ選集』第一巻)

■参考サイト
さざなみ通信<投稿論文> 不破路線の追認と混乱――『日本共産党の八〇年』によせて
http://www.linkclub.or.jp/~sazan-tu/sazanami/030/53.html

ルーマニア特派員「いわなやすのり」氏の告発の原文1
http://www.jca.apc.org/~altmedka/pro-14.html

「ルーマニア問題考」(れんだいこ氏のサイト)
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/miyamotoron/miyamotoron_hosoku29.htm