3月29日はマリモの日。
 1952年のこの日、北海道阿寒湖のマリモが国の特別天然記念物に指定された。

 緑藻植物のシオグサ科に属するマリモは、1921年に天然記念物に、さらに1952年には特別天然記念物に指定されている。厳密にいえば、マリモは阿寒湖だけのものではなく、北海道では標茶町のシラルトロ湖、津別町のチミケップ湖、本州では山梨県富士五湖の河口湖や西湖などで生育が確認されている。しかし、阿寒湖のように、ビロード状の美しい球状をかたちづくるマリモは他に見つかっていない。

 特別天然記念物マリモと、「左翼の再生は可能か?」というテーマと、何の関係があるのかって? 「左翼」も「社会主義」も絶滅危惧種だから保護してやれとでもいいたいのか? それも極めて緊要の課題かもしれないのだが、きょうは西村真琴(にしむらまこと・1883年〜1956年)という人物について触れておきたいだけのことである。
阿寒湖のマリモを他の湖に移植することに成功して、東大から理学博士を授与されたのが、当時、北海道帝国大学教授(水産植物学・浮遊生物学)の西村だった。しかし今日、西村真琴の名が記憶されるのは、「学天則」(ガクテンソク)の生みの親としてだろう。

 淡水産藻類の権威であり、科学者としての名声も高かった。しかし論文「五十年後の太平洋」(日本SFの古典とされる)や科学随筆が、大阪毎日新聞社社長の長本山彦一の目にとまるところとなり、1927年、特別職社員(論説顧問)として招かれる。

 「東洋初の人造人間」学天則は、1928年、京都の昭和天皇御大礼記念博覧会に、同社の作品として出品された。1920年に、カレル・チャペックの戯曲『R.U.R』が出版され、「ロボット」という概念が知られ始めたばかりの頃である。ちなみにこの学天則は、荒俣宏の『帝都物語』にも登場する。映画化作品では水戸黄門役で有名な俳優・西村晃(次男)が、実父・西村博士を演じたことで話題になった。

 「学天則」の開発のコンセプトは、「神は人を造れり、人は人の働きに神を見出す、神を見出さざる文明は呪はるべし」というものだったという。学天則は、世界の人種から合成された顔を持ち、世界・宇宙を象徴するコスモスを胸にあしらっていた。それは世界人類の平和と友好を願い、科学技術の暴走を戒める警鐘のメッセージだったといわれる。現在では大阪市立科学館にそのレプリカが所蔵されている。

http://www.sci-museum.kita.osaka.jp/exhibit/text/0-000.html#mark
http://www.sci-museum.kita.osaka.jp/exhibit/text/0-nishi.html

 しかし学天則は、当時としては最先端技術だったかもしれないが、大阪市立科学館の紹介ページもあっさりいうように、今日の目から見たら「からくり人形」であろう。そのSF作品も「必要以上に手法に凝りすぎてしまって、内容には乏しい」(横田順彌『日本SFこてん古典』)と、SFファンからの評価もいま一つのようである。

 ここでは、西村真琴を、広義の「空想的社会主義者」の一人として、積極的にとらえ返してみたい。マリモの保護は自然保護運動の、アイヌ文化の保存や支援に尽力したのはマイノリティ運動の、先駆的な試みではなかっただろうか? 戦時中には中国人の戦災孤児の救済にあたり、幼児教育振興をめざす保育指導者でもあった。

 中国近代文学の父・魯迅との交流も興味が尽きない。伊藤虎丸『魯迅と日本人』(朝日選書)では、以下のように紹介されている。

 「一九三二年、上海事変。この時、大阪毎日無給治療団長として上海に渡った西村真琴博士は、廃虚と化した閘北の三義塚で一羽の飢えて飛べない鳩を見つけて大阪へ持ち帰り、日本の鳩との間に子が生まれたら、その愛の鳩を平和の使者として上海に送りたいと念じつつ養ったが、翌年鳩は死ぬ。博士は鳩を庭に埋葬し、碑を建てて三義塔と名付け、自筆の鳩の画を魯迅に送り、果たせなかった自分の意を伝えると共に題詠を請うた。日本軍の爆撃、砲撃で『人の子』は皆殺しにされ、崩れ落ちた村に飢えた鳩が残された情景から歌い出されたその詩の後半で、魯迅は次のように言う。
 精禽は……劫波を度り尽くして兄弟在り/相い逢うて一笑すれば恩讐泯ぶ」

 魯迅の題詠の全文は、豊中市日中友好協会のサイトを参照してほしい。
 http://www.yama-r.jp/nittyu/sangitou.html